「ない」より「ある」ほうがいいはずなのに
なぜか「ない」に気持ちがひかれるのは
人のさがなのでしょうか
今回も何かが「ない」曲をさっそく聴いてみたいとおもいます。
「キャッチワードが切り出せない」 酒井法子
「キャッチワードが切り出せない」
作詞:川村真澄/作曲:根岸孝旨/編曲:馬飼野康二
1988年発売・酒井法子のセカンドアルバム『夢冒険』に収録。
なかなかマンモス意味のわからないタイトルですが
歌詞の内容は
まだ友達同士の男女なのか
とにかく日曜日に2人でどこかへ出掛けているようです
別れ際の地下鉄で
問題の言葉が出てきました
「キャッチワードが切り出せない」
引き止めたい
呼び止めたい
と言っているので
彼女は彼にこのまま帰ってほしくはない様子
その気持ちを彼に伝える、ビシッとしたキャッチーな言葉が出てこないということですかね
彼のほうは彼のほうで
「階段がのぼれないアイツ」と言われていて
一瞬、足でもくじいてしまったのかとおもってしまったのですが
どうやら呼び止めてくれるのを待っているということなのか
でもこの2人今までも
学校ではなんとなしに目と目を合わせていたり
「2度目の約束だからわかりあえているよね」とか
あと地味に1度目の約束もとても気になります
そしてついに「カラダじゅう声になる」と走り出す彼女
やっぱり最後はこねくり回して考えた電通的キャッチーな言葉よりも
ストレートに行動あるのみということですかね
昨今のインパクトのあるキャッチーなタイトル・テロップ・サムネイルで興味をそそり
実際は中身のないものがあふれている
でもついつい
そういうのって見ちゃうんですよね
ということで「キャッチワードが切り出せない度」は
です。